朝ドラエールで中村蒼さん演じる村野鉄男の実在モデルである、野村俊夫さんを紹介していきますね!
福島三羽グラスとして素晴らしい歌をこの世に残している野村俊夫さん。
けれど決して順風満帆な生い立ちではないんです!
では詳しく見ていきましょう♪
Contents
朝ドラエール村野鉄男【中村蒼】の実在モデルは誰?生い立ちを紹介!
今日3月4日は主人公・裕一の幼なじみの、
村野鉄男役・中村蒼さんのお誕生日🎉現場でお祝いをしました✨
大好きなチョコレートケーキを貰って嬉しそうな中村さん😋🎂#朝ドラエール#エール#3月30日放送開始#中村蒼 pic.twitter.com/hwiK0PiaiK
— 連続テレビ小説「エール」 (@asadora_nhk) March 4, 2020
名前:野村俊夫(のむらとしお)
本名:鈴木喜八(すずききはち)
生年月日:1904年11月21日※明治37年
死没:1966年10月27日※62歳
出身地:福島県福島市大町
職業:作詞家・詩人
実家は魚屋「魚忠」で、父親は鈴木忠八さんが営んでいました。
野村俊夫さんは野村家三兄弟の三男!
やんちゃな性格でガキ大将だったとか(笑)
しかし順調に家業を営んでいたのですが、父親が商品相場に手を出して失敗して引っ越すことに・・・。
商品相場とは?
商品取引所での商品の売買取引
家業の失敗により高校を辞める事になった野村俊夫さん。
- 福島市立第一小学校
- 福島商業高校へと進学するも中退
その後は、福島県の富豪の元へと奉公へ出ました。
当時15歳だった野村俊夫さんは新聞雑誌に俳句や詩を投稿するように(^^)/
ですが、父親にバレて怒られてしまいます・・・。
勉強が好きだった野村俊夫さんは、隠れて勉強していたことが奉公先にバレ、勉強したいなら家でしっかり勉強しなさい!っと言われ実家へ戻されるんです!
奉公先の主人がとてもしっかりした人だったようですね^^
奉公先から実家へ戻った後は、実家の手伝いをしながら3年程勉強をしながら生活をして、新聞社へ入社!
- 1924年 福島民友新聞社へと入社(当時20歳)
- 1931年 退職
7年間勤務し、編集部の手伝いから、社会部の記者になるなど昇格し、最後は文芸欄を任されるまでに(^^)/
入社後も学び続けスキルアップをしていった結果でしょう!
その間も詩を書くことを続けていた野村俊夫さん。
福島ハーモニカ・ソサエティーので「福島行進曲」を作詞!
福島ハーモニカ・ソサエティーと言えば古関裕而さんですよね^^
2人はここから共に音楽の世界へ羽ばたいていきます!

朝ドラエール村野鉄男【中村蒼】の実在モデルは野村俊夫!作詞家としての人生や結婚は?
野村俊夫さんと古関裕而さんは幼なじみで、引っ越すまでは良く遊んでいたんです♪
そんな二人が再会したのは野村俊夫さんが福島民友新聞社に務めていた時です。
野村俊夫さんが作詞した「福島行進曲」に古関裕而さんが曲を付けました。
1931年に古関裕而さんが日本コロムビア専属の作曲家となることが決まり、野村俊夫さんが誘いを受け一緒に上京。
しかし当時東京は「昭和恐慌」で仕事がなく、生きる為に様々な仕事を経験するなど苦しい時代を過ごします。
しかし古関裕而さんが福島行進曲のレコードを発売した事がきっかけで、作詞家野村俊夫としての活動を開始することに。
1931年 福島行進曲
(古関裕而さんが最初に作曲した曲)
1939年 上海夜曲
(コロムビア専属作詞家となるきっかけの曲)
1939年 ほんとにほんとに御苦労ね
(後にドリフターズが歌う)
1940年 暁に祈る
(ヒットのきっかけとなった曲)
1964年 故郷はいつも瞼に
(最後に作詞をした曲)
1940年に発売された「暁に祈る」は、
- 作詞:野村俊夫
- 作曲:古関裕而
- 歌手:伊藤久男
福島三羽ガラスと呼ばれるようになったきっかけの曲です^^
野村俊夫さんが作詞した曲はとても評判が良く、校歌もたくさん作詞しています。
自身が通っていた学校の校歌や、明治大学の校歌の作詞も野村俊夫さんが担当しているんですよ♪
どれだけ凄い作詞家だったかが分かりますね!
素晴らしい作詞の功績が称えられ1951年の47歳の時に日本音楽著作権協会の理事長に就任しています。
その後61歳で辞任。
野村俊夫さんは結婚していて子供がいたという情報があります。
どのような女性だったか分かっていませんが、専業主婦が多い時代だったので専業主婦だったのではないでしょうか^^
男が働く・女が家を守るというのがはっきりとしていた時代ですよね!
長男は鈴木克東さん。長女、次女がいたとか?
ここは噂なのではっきりとは分かりませんでした。
家族にも恵まれ、仕事も順調で幸せな晩年を過ごしたことでしょう^^
1966年、享年62歳で亡くなっています。

朝ドラエール村野鉄男【中村蒼】の実在モデルは野村俊夫!継続が成功の秘訣?
山崎育三郎さんInstagramより。福島三羽ガラス✨#朝ドラエールhttps://t.co/0BW3bQ3NIJ pic.twitter.com/bLDI1aazDH
— シラトリ (@shiratorihana) February 5, 2020
福島三羽ガラスとしてこの世に素晴らしい歌を残した野村俊夫さん。
才能溢れる人は産まれたときから順調な人生を歩んでいるんでしょ!っと思いがちですよね。
しかし野村俊夫さんの人生を見ていると分かるのですが、決して順風満帆ではないという事です。
家庭の事情で高校を中退し働きにでるものの、夢を諦めず詩を書く事を続けています。
そして学校に行けなくても自身で勉強し、新聞社へ入社するなど自分の力で掴み取っていますよね!
そして古関裕而さんと再会し、上京。
上京後も苦労の連続だったにも関わらず、歌詞を書き続けていた野村俊夫さん。
その才能が評価されるまでには長い時間がかかっています。
- 1904年:誕生
- 1904年 暁に祈るがヒットし福島三羽グラスとして有名になる
ヒットしたのが野村俊夫さんが36歳の時です。
夢を諦めずに継続する事が大切!
野村俊夫さんの人生を知り、天性の才能以上に努力や諦めない心が大切なんだと勇気付けられました^^
朝ドラエールで野村俊夫さんの人生がどのように描かれるのか楽しみですね!
福島三羽グラスの伊藤久男さんはコチラ☆
